山菜歳時記
山には山の・・。

 <見知らぬ人が自分の家にことわりもなく侵入し、物を取っていく>
この場合、「不法侵入、及び窃盗」という罪になる。
 山も同じこと。誰かの持ち物なら、勝手に侵入したり、何かを取っていったりすれば、それは、れっきとした犯罪にほかならない。

 ただし、これは程度問題。「自然保護」などという言葉の意味を正しく理解しながら、山には山のルールとマナーを守って、楽しく自然とふれ合うことが出来れば、山菜採りほどおもしろいものはない。


●自分の家の前に、「ここは○○所有の家だから、中のものを取るべからず!」なんて看板を立てる人はいません。
 ところが、いざ山菜採りの場合、「そこが誰の土地なのか」「どこが管理している土地なのか」を意識せずに山に入り込む人が少なくないようです。
 まず、これから入ろうとしている土地が誰の持ち物なのか、を知った上で責任ある行動をしましょう。

●新井でも一部の地域が、そうであるように、その土地の人が山菜を採って生計の足しにしている場合があります。その場合その地域ごとに禁漁の期間、区域など設けられていることがあるので、必ず守らなくてはいけません。その土地の人達の迷惑になることはつつしみましょう。

植物は大きな生態系の中の一部を担っており、ほんのわずかな変化でも大きくその形を崩してしまうことだってある。ということを知っておきましょう。
 自然のメカニズムすべてを理解することは出来ないにしても、自分がしようとしていることが、自然に対してどういう影響を及ぼしているのか?をつねに問いかけながら行動するようにしましょう。

●現在新井でも進められていますが、道路の整備、リゾート開発などで大きく自然にメスを入れることがあります(これは、もちろん十分に配慮されていることと思いますが)。そして、それによって命を断たれる動植物の量たるや、私たちが山で山菜を採るなんて行為には、とるにたらないものがあるはずです。
 一方で私たちが、「わらびが絶えないように」といって、一本の胞子葉を採らずに大切にしておくことを、単に精神的な問題と片付けてよいのでしょうか。
 小さなことにもこだわりながら、大きな問題にもできるだけ関心をもつようにしましょう。

●山は自然だからこころひかれるんです。
少なくとも、自分が入ったところ、採取した場所はていねいに戻しておきましょう。めちゃくちゃに掘り起こしたり、やたらに荒らしたりした跡を見ると気分が悪いものです。人工のものを置いてきたり、ましてや粗大ごみを捨てるなんて行為は、問題外です。

植物にとって「かわいそうなこと」とは何か?を考えましょう。
葉や花を摘んだり、枝を折ったりすることが植物にとってかわいそうなことでしょうか?もしそうだとすれば、花屋さんの店先はあんなにウキウキと楽しいはずがありません。
 採ることがかわいそうなこと、自然のままにしておくことがやさしいことでは、決してないはずです。このことは植物を愛するみなさんもぜひ一緒に考えてください。


 山菜は地球上で、毎年〃枯れては生えを数百年、数千年繰り返してきました。私たち人間は、太陽のエネルギーを蓄積したこの植物を食べることによって、生きてきました。
 ここに記したようなルールやマナー、自然に対する儀礼をつくしながら、山菜と触れ、収穫し、家族や隣人と分け合いながら季節を味わったり、お料理を楽しんだり出来れば、それはなにより、私たちに与えられたこのうえない山の幸(さち)ではないでしょうか。


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